1990年の夏、私はオーストリア・ウィーン国立歌劇場の「屋根裏」と呼ばれる部屋に長く籠っていた。「世界初のフルデジタル処理によるオペラ・電気音響システムの構築」という、2年越しのプロジェクトの仕上げである。仕事の相手はトーンマイスター、つまり歌劇場の音響監督たち。当時私はTOA株式会社でDSP(デジタル信号処理)技術を応用した音響機器を開発しており、ウィーンでの仕事もその一環だった。といっても、DSP技術を音響機器に応用するのは、社命ではなく私自身が掲げたテーマである。活動の自由と予算は与えられていたが、すべてがゼロからのスタートだった。
私は少人数の開発チームを組織し、トーンマイスターたちとディスカッションを重ね、丸2年を費やして、劇場向けコンソール「ix-9000」を完成させた。他に類を見ない技術であったため、克服すべき多くの問題を一つひとつ解決しながらの開発であった。私をそこまで駆り立てたのは、入力から出力まで、すべての領域をデジタル処理する音声卓が「もっともエレガントな技術であり、解決法である」という想いだった。
1990年9月1日、「ドン・カルロ」の舞台でその想いは形になり、「ix-9000」はウィーン国立歌劇場の核を担うシステムとして高い評価を得た。
その後も私は異なる用途向けの「ixシリーズ」を開発し、国内の放送局をはじめ、多くの施設に納入した。
私はつねづね、デジタルテクノロジーの恩恵について想いをめぐらせ、そして機会ある毎に「それはテクノロジーの人間化である」と考えてきた。アナログ処理ではエレクトリカルとメカニカル(電気と機械)の連携制御が不可欠だったのに対し、デジタルではその種の制約を完全に取り払うことが可能になる。航空機がコンピュータ支援によるフライ・バイ・ワイヤ(舵面制御)で飛躍的な進化を遂げたように、音響機器もDSP技術の応用により、アナログ信号処理とはまったく次元の異なる自由度を手に入れることができる。劇場、放送局、録音スタジオ、そしてコンシュマー・オーディオのすべての分野で、デジタル技術は人間に、そして人間のもっとも崇高な表現形態である芸術に、純粋に奉仕することができるのである。
2010年、私はボーズ株式会社の代表職を辞し、新会社「J.TESORI」を立ち上げた。その目的は、これまでに経験した日本的な技術開発と、米国流のマーケティングを昇華させ、さらにそのどちらの体制でもできない、新しいモノづくりの体制を生み出すことにある。エンジニアに必要な発想力、それを実現するためのチーム統率力、そして製品開発をマーケットにダイレクトに結びつけ、新たなニーズを喚起するマーケティング力。それらの、どの部分が欠けても、強いメッセージ性を持つプロダクトを生み出すことはできない。これが日本と欧州、そして米国のプロオーディオの最前線で製品開発とプロモーションに従事してきた、私の結論である。
J.TESORIが目指すもの、それは次の世代に伝える技術と、新たなモノづくり体制の確立である。
1955年1月 | 福岡県に生まれる |
1978年3月 | 九州芸術工科大学(2003年10月、九州大学と統合)音響設計学科卒業 |
1980年3月 | 九州芸術工科大学大学院 修士課程 情報伝達専攻修了 |
1980年4月 〜2001年3月 |
TOA株式会社にてプロフェッショナルデジタルオーディオ機器の研究開発に従事。 世界初の統合型サウンドデジタルプロセッサー「SAORI」開発(チーフエンジニア)。 デジタル音声卓「ixシリーズ」開発(プロジェクトマネージャ)。 ウィーン国立歌劇場・音響設備の全デジタル化、NHK音声卓のデジタル化を牽引。 業務用デジタル音響機器の開発を通じ、音響界におけるDSP(デジタル信号処理)技術の先駆的役割を果たす。 |
2001年4月 〜2008年3月 |
米国BOSE Corporationの日本法人であるボーズ株式会社にテクニカルアドバイザーとして移籍。 業務用DSP機器、コンシュマー向けスピーカシステム等を開発。 技術開発業務に並行してマーケティング/営業等、販売面のマネージメントを兼務。 |
2008年4月 〜2010年3月 |
ボーズ株式会社代表を務める。 |
2010年6月 | 株式会社 J.TESORIを設立、代表取締役社長に就任。 |